トークセッション「個々の感覚とイメージ」(後半)

佐藤壮広(宗教人類学者)×なかええみ(作曲・構成)


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<群声は完成しない>

なかえ:まだ群声というやり方は、まだ完成をみているわけではないんです。今日はその一過程を皆さんと共有できて、今までは、、、つまり、「完成はない」と絶えず模索をしていたのです。ですから、ちゃんと創るっていうことをしていなかったんですね。 今回、ちゃんと創ってみたんです。それができてきたから、こうやって発表させてもらっているのです。

一方で、「共感する」「共鳴する」は、簡単に終わらせるのではなくて、もっとその裏にある、バックグラウンド、生き方だったりとか、生活文化だったりとか、宗教の違いだったりとか、そこを「違うんだけど、そうか」と、

違いを感じることだと思ってるんです。共感できなくても。でも、(共感、共鳴)できたいの、したいの、歌を利用している・・。 

佐藤:うん。 

なかえ:全く違う趣向のふたりが、新しい音の中に入っちゃおうっていう感じ。ね? 

佐藤:(笑)

なかえ:・・・それを、理想としてます。人のバックグラウンドを否定したくもないし、善い悪いとかそういう判断ではなくて。

・・声には全て本当に含まれると私は信じてるんですね。「こういう声出す人はこうだ」っていう言い方しちゃいけないんだけれども、でも、あるところそれは真実だし、戸惑い、躊躇い、全てあります、声に。そこら辺を、「今、どうしてそうなっちゃった?」「どうして?どうして?」っていう、そのギリギリのところっていう、わけの分からない、その、一枚の紙しかないような隙間に、すごい溝があるんです、実は。人間の差というか。で、ある表現に関して、本人の顔が「ヒッ」てなった瞬間に、「いや、実はそこ課題だったんだ」って分かるんです。本人、その人自身が(気づく)。 

佐藤:ほぉほぉ。

 

なかえ:他の人にとっては、その人の課題は、全然、なんか虫けらみたいなことでもあるんです。でも、ある人にとっては、すごい大きな課題なんです。こんな薄っぺらいものなのに。

『「そこ」ダメだよ』の一言が、ある人は平気。でも、ある人には「ガーーーン!」ってなるんです。『もう出ていけません、私』って落ち込む・・。「そこ」が課題なんです。

、、、だから、稽古場は修行場みたいですよ。(会場内のメンバーに)ね?「うん」って言ってる。(会場、笑い)

 

<バックグラウンドを引き受ける>

佐藤:声を出すことで、その人のバックグラウンドを引き受けながら、やり取りしていく。 

なかえ:やり取り、ずっとやり取りなんです。だって、声は(そのままで)いいんだもん。その声でいいのです。 

佐藤:うんうん。 

なかえ:声が引き攣ってもいい。ただ、その引き攣った声を本人がどのように受け止めているかが重要です。

佐藤:うんうんうん。 

なかえ:それを、本人の課題、「自分のバックグラウンドを引き受けてるか?」っていう、ことです。

 

佐藤:そこを大事にするのが、群声? 

なかえ:のやり方ですね。 

 

<「イメージ」した声は空回り?>

なかえ:イメージの話も今日しなくてはいけなくて、『イメージを、出す』。

佐藤:うん。 

なかえ:イメージを出す。つまり、こういう風にと提示したら、みんなそこに向かうのかな?っていうテーマです。・・・答えはね、向かいます。でもですね、イメージという空回りした、身体と声が向かっていくの。これね、ダメなんだわ。 

佐藤:はぁ。(会場、どよめき) 

なかえ:・・・・(頷く)。

佐藤:はい。

なかえ:例えば、みんなで「爽やかな感じ」とか、「ちょっとキラキラした感じ」とか、「違う次元に行く感じ」とか言うと、みんな「(高音で、神妙に)はぁ~~」とか、やりだすんですね・・・「お前はどこに行った?」ってなるんですよ。 (笑)

佐藤:ちょっとやってみたいですね。 

なかえ:やってみようか?

 

 

<群声ワークショップをみんなで!>

(会場笑)

佐藤:我々、雨乞いの儀礼っていうのは、雨を模したりとか、さっき太鼓も出てましたけど、太鼓の音を声で真似しながら、雨を呼び込んだりする、自分の身体を自然に重ねながら、雨降りの現象を、こうね、模倣したりするわけですよ。一つの事実なんですけども。 例えば、今日降っている雨。あれに、共鳴する声。声だけじゃなくてもいいかな?こういうのもいいかも(拳で床をコツコツと鳴らす)。 

こういうのを、今から「はい」って言いますんで、我々が共鳴するとしたらどうなるのか、ちょっと、やってみていいですか? 

なかえ:賛成。 うんうん。皆うんうんって言ってる。(会場、笑い) 

佐藤:せっかく群声を聴いた後なので・・。何の計画もなしに、あの雨、聴こえてるはずですので、ずっと舞台中も聴こえてましたので。あれを聴いたときに、自分はその雨に、どんなふうに今、反応したいのか? するつもりなのか? してみたらどうなのか? ということで、やってみたいと思います。

手をたたきますので、ゆっくり反応していってください。で、もう一回、手をパンパンとたたきますので、そしたら、ちょっと、終わってみてください。じゃあ、いきますよ。あの雨、です。

<手拍子1回> 

(全員で、それぞれに、雨の音に反応する音を出す。皆が音を発し始める。低い声、雨が屋根をたたくような「かたかた」という音、リズミカルな声、金属が静かにぶつかる音、呼吸のような音、だんだんと高い声も生まれていく。約1分間。) 

<手拍子2回> 

佐藤:はい。いやぁ~。 

なかえ:面白かった。 (拍手)

佐藤:その辺から降ってくる感じもしましたね。 どなたか、ご感想を。

 

女性のお客様2:すごく気持ち良かったです。 

佐藤:気持ち良かった? 

女性のお客様2:ずーっとやっていたい感じ。 

佐藤:ですよね? 

なかえ:わぁ、嬉しい。

佐藤:電気消えたら、もっと自分らが雨粒一個一個になるような勢いで。 

 

男性のお客様1:何て言うんでしょうね、現代で忘れ去られているものをね、こう、甦らせているっていうか、そこにこう、気づいているっていうか、それをやろうとしているような気がするんですよ。 

佐藤:うんうん。 

男性のお客様1:何か、人間的なもの、自然的なものがあるような、ね?

佐藤:はい。今ではわざわざ集まらなくてはできなくなった、ことをしていますね。

 

女性のお客様1:8時過ぎてるから、終わりを決めた方が。 

なかえ:あ、ごめんなさい、無ければもう。 

佐藤:いえいえ。せっかくだから、もう。 

男性のお客様3:あのう、さっき雨が、ものすご~く強くなってきた時がありましたよね? 雰囲気がまとまっている中に、バサーーっと降ってくる雨音が、なんか、「あぁ、昔こういう感じあったよなぁ」って、そういう、ちょっと思い出したっていうか。 いいですね、感覚がひらくの。楽しい。 

佐藤: こっちに集中しながら、雨の音も、雨も主張しているわけですよね?ある意味。それがちゃんと聴こえてるっていうのは、逆に、雑音じゃなくて、いいなって思いますよね。 

なかえ:ありがとうございます。 宴もたけなわ(会場、笑い)、、、。

 

 

<書家のもたいさんのご紹介>

(もたいさんに、お声を下さいと呼びかける)

 

もたい:今日は長野から来ました。(会場、驚きの声) 

なかえ:(立ち上がって装束の袴に描かれた書を見せながら)これを、描いてくださいました。(会場、さらに驚きの声) もたいえみさんです。 

もたい:こんにちは。 

なかえ:長野から駆け付けてくれて。雨がやっぱりひどかったから、渋滞に巻き込まれてしまって、到着が遅くなってしまったんですけど、これをね、どういう風に描いてほしいかっていうのを、お電話でやり取りしまして、彼女の「気」で書いてくださいました。すごい素敵でしょ? 

もたい:ありがとうございます。 あの、えみさんの舞の場に、間に合いました。 

私も表現の仕事、書のライブもします。『書道ガールズ』みたいなのじゃなくって、エネルギーを書いていくような。今ある、先程からの「共鳴」っていう言葉がありましたけれども、その場でしか起きない、パフォーマンスをしていくんですけども。 先程、ちょっと仰って頂いたように、お電話で、お話したところで、私が感じる「水」というものを表現させて頂いたんです。書く時に、えみさんのトーンと、それからお話してくださったストーリーが、自分の中でストーンと降りてきて、それでもう、エネルギーのままに、熱くなって書かさせて頂きました。 何か、響きっていうもの、私は、書くっていうことで、皆さんに伝わる。自分も何をやっているのかなぁっていうのを常に考えながらなんですけれども、仰っていること、一緒だなぁっていうふうに思いました。文字を書くっていうことで、やっぱり、「あ、い、う」って一つ一つが、音霊(おとだま)、言霊(ことだま)として、私も、書くっていうことで、響き、繋がりっていうことを感じていますし、形霊(かただま)っていうものもあると思っています。 

佐藤:あぁ。 

もたい:はい。そのエネルギーを私は書かせてもらっていて。 とても楽しかったです。ありがとうございました。 

 

<イメージは「物語」を通じて伝わる>

なかえ:さっき、イメージは人にはなかなか伝わらない、空回りの表現になる、なんていう話もしましたけれども、言葉でイメージを伝えると、伝わるんですよね・・・イメージを物語にした瞬間に伝わりやすくなるんです。

これは本当に不思議で、「こういうの書いて」っていうのは伝わらないんです。「こういう話なんだけど」って言った瞬間に、その人の中で、「こういう話」が、個人の体験として引き込まれ、同じような感度をもって、同じような「あたたかさと強さ」をもって、中に入るんですね。それで、表現者は表現をするんです。 だから、イメージは、「シャラシャラ~、ね」とか、「こんな感じ」っていうふうにやると伝わりにくくて、その中で、何がどういうストーリーなのか。 だから、説話や、昔話っていうのが、大切なんだと思うんです。そこに、大切なイメージが落ちていると思っています、私は。イメージを伝えるというのは、形の背景にある物語、そこから立ち上がって来るものを、作家や芸術家は全て、いつも追っているんだっていうことを、何か時間的な・・・・・。

女性のお客様1:はい、聴いてますよ。(会場、笑い) 

なかえ:文学の先生なんです。、、、ねぇ先生? 

女性のお客様1:はい。 

なかえ:もうバトンタッチしたい。 

女性のお客様1:いやいや、違う違う。佐藤先生ここに居られるし。 

佐藤:いやいや(笑)。 

なかえ:(笑)やっぱり人間には物語が必要で、物語の中に含まれている、物語をもって、我々は生きている。 それは、あなたの物語でもあり、そしてバックグラウンドに物語をもてばもつ程、その人は多分、大海、渦に入って、大きな大海に出られると思う。最後に漕ぎ着けたかな?イメージの話に? 

佐藤:はい。(会場、笑い)いいじゃないですか。 

なかえ:ありがとうございました。(会場、拍手) 

(トークセッション終了)

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